2011年11月17日木曜日

2011年10月16日日曜日

岡本太郎と新天町


「岡本太郎生誕100年企画展が福岡パルコで開催される。
2011年11月18日(金)~12月5日(月)

パルコの隣接する新天町商店街に所蔵されている太郎さんの作品もあわせて見に行こう。

ちなみにARTing 創刊号にこの作品について紹介している。(下記に抜粋)

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 「ねえ、知ってる? 岡本太郎の作品が新天町の社員レストラン(新天町倶楽部)に展示されてるよ。」
「印刷じゃないの?」
「本物だよ、岡本太郎が新天町にプレゼントしたんだって!」
「え! ほんとう?」
「うそと思うなら行ってごらん。」

 今、岡本太郎がホットである。二〇〇三年、メキシコシティ郊外の倉庫で行方知れずになっていた大壁画「明日への神話」がおよそ三十五年ぶりに発見されて世間の話題を呼んだこともあるだろう。だが何よりも岡本太郎が見つめていた何ものかに、時代があらためてひかれ始めたのではないだろうか。そのせいか新天町に展示されている岡本太郎の作品「挑む」も俄かに注目を浴び始めたらしく、一目見ようと訪れる人が増えてきている。ではその岡本太郎が見つめていた何ものかとは何だったのだろう? ここではその新天町の作品を中心に考えてみたい。 岡本太郎。一九一五年生まれ。挿絵画家・岡本一平と小説家・岡本かの子の間に生まれる。十八才の時、両親と渡欧。両親は、太郎をパリに残してイギリスへ渡る。それ以来、二十九才までの十年間、パリでひとり暮らし。フォービズム、キュビズム、抽象美術、シュルレアリスムなど、二十世紀の前衛芸術運動の渦中で青春期を過ごす。絵画を描くことだけに飽き足らずソルボンヌ大学で哲学、社会学、民族学なども学んだ。太郎さんの芸術世界の基盤は、このパリ留学時代に作られたと言ってもいい。帰国するとすぐ中国戦線へ出兵。戦後、日本の前衛芸術の先頭を走り続ける。一九七〇年の日本万国博覧会ではテーマゾーンをプロデュースし、そのシンボルとなる「太陽の塔」を制作。芸術家として時代の頂点に達する。(以下、親しみを込めて太郎さんと呼ばせて頂く)

 ところがその万博以後、あの「芸術は爆発だ」という前衛的な言葉がコマーシャルの広告コピーと勘違いされたり、当の本人も普通のタレント扱いされるなど、天才画家のオーラも危うくも消えようとしていた。コマーシャリズムに堕した芸術家として批判もあっただろう。正直なところ私自身もがっかりしていたひとりだったようである。
 しかしそれは単に太郎さんだけのことではなかった。万博が終わるや否や、時代は大きく変わってしまっていた。現代芸術の多くは、肥大化した商業資本主義の中にすっかり組み込まれ、毒素を抜かれた明るく消化のいいエンタテインメントになってしまった感があった。
 おそらくそのことは太郎さん自身が最も敏感に感じ取っていたことではなかったか。だからこそ商業主義から逃げるのではなく、逆にそのど真ん中に飛び込んで芸術を爆発させてやろう、と考えたに違いない。そこで派手な展覧会をする、テレビに出る、新聞や週刊誌を賑わす、街へ繰り出してイベントを仕掛ける、…新天町商店街との出会いもこの路線上に位置していたはずである。
ところがこの新天町において町の人々と意気投合、後日、新天町に大作が届けられる。それは、商人たちのパワフルな活力にすっかり共感した太郎さんからの純粋なプレゼントであった。この破格の出来事を思う時、私は太郎さんの人間を見つめる眼力の凄さを感じないではいられない。そうだ、太郎さんは決してマスコミやマスプロにへつらう軽薄なコマーシャリズムに走っていたのではない。そんなことなど無縁なひとりの人間として時代の最も先端を走り続ける前衛芸術家であったのだと確信する
・・・・・・・・・(省略)・・・そこに見える「挑む」の文字は、形象に後から付け加えられたものではなく、形象の運動のただ中から生まれつつある文字だとみなければならない。既成概念として固定された文字が画面に押し付けられたのではなく、画面の上の生命的形象の流動の中から自ずと生成して来る生き物のように活き活きとした文字=知に他ならない。しかも次の瞬間にその文字は、意味も形も失いながら荒々しいカオスの流動に紛れこんでしまうかもしれないし、また全く異なった文字を生成するかもしれない。そんな形象から文字、文字から形象へと展開して行くプロセス、コスモス/カオス、生/死、意味/無意味の両義的なダイナミズム、その絶え間ない生成の運動こそ存在の根源的な世界であり、ここに太郎さんの芸術的ヴィジョンがある。
 芸術とは、「人間生命の根源的混沌を、もっとも明快な形でつき出す」ことだ。それは、存在の奥底から生を揺さぶってくる「根源的混沌(カオス)」の表象である。「鏡でみる暴き出された自己の像のように、自分自身の小さな思いを超えて自我の内奥の流動する生命的な根源的カオスの力が映し出されている。」と太郎さんは言う。
・・・(省略)このような根源的カオスの思想は、パリ時代、アヴァンギャルド芸術運動と接触する中で形づくられる。その中でも過激な思想家ジュルジュ・バタイユの影響は多大なものであった。・・・(省略)こうして太郎さんは、芸術において宇宙全体を丸ごとつかんで宇宙そのものと一体化しようとする。宇宙そのものにならなければならない。宇宙となって挑むのだ。そうだとすれば作品「挑む」とは、太郎さんと一体化した宇宙自身によって描かれた宇宙の自画像であると言えないだろうか。

ARTing 7号 11月25日発行

ARTing 7号 2011年11月25日発行

ポスト3・11のアート
井川惺亮
石川幸二
常盤拓生
水永宗勝

佐藤俊郎

平兮 元章・「文化産業」時代の文化

行動美術が九州に根付くまで
・行動美術会員 阿部直昭

特集・建築に会いに行こう ~福岡近現代建築ツアーの三年
  松岡 恭子~福岡近現代建築ツアーを終えて
  末廣 香織~福岡の建築文化を高めるために

音文化の冒険 ~五大皆響き有り
  岩宮 眞一郎 ~音のデザイン―感性に訴える音が付加価値を生み出す―
 申 鍾 賢、崔 鍾 大 ~韓国のサウンドスケープ・デザイン
 藤枝 守~「ふるえ」と「きこえ」
      ~四つのサウンド・インスタレーションをめぐって
中間 和之 ~都市と祭りと音風景
近藤 さくら ~カメラがとらえた博多祇園山笠の響き
中村 滋延 ~小津安二郎の愛した音風景
武田 芳明 ~ブルーノートの彼方へ

トピックス
前田泰史写真集『長崎の教会』
「玄人はだしのしろうと写真術」大岩俊夫著

2011年4月30日土曜日

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ARTing 購入方法

4号、5号、6号 各800円 (送料込み)

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ARTing 6号 特集より

特集01 福岡:デザインの底力
 福岡市は、人口百四十六万人。全国的にも有数の魅力的な都市のひとつである。特に一九七〇年代から二〇〇〇年代にかけてめざましい発展を遂げた。一九七五年、山陽新幹線開通。一九七六年、天神地下街開業。一九八一年、地下鉄開業。一九八九年、よかとぴあ福岡博覧会開催、福岡タワー完成。一九九三年、福岡ドーム完成。そして今年、博多—鹿児島間新幹線開通。…ますます発展する福岡だが、そこには市民生活、地域社会、自然風土、伝統文化等々を明日のヴィジョンへとつなぎ実現して行く〈デザイン力〉があった。この特集では七〇年代以降の福岡市天神地区の発展を支えて来たデザインの底力にスポットをあてる。


特集02 生成する身体
 うれしくて飛び上がる。腕が鳴る。肩の荷を降ろす。腹を割って話す。足が重い。——身体の動きと心の動きとが溶け合うこれらの表現は、日本人が日常生活で何気なく使う動作や言葉である。心と身体とがいつも一つであること、それは人間存在の本来の姿であろう。ところが今日、心と身体のギャップが起こっていないだろうか?
 ダンスパフォーミング・アーツは、従来の西洋バレーやモダンダンスの様式にこだわらず新しい表現スタイルの創造を通じて、心と身体のトータルな表現世界をめざすアートである。
 福岡の舞踏家・原田伸雄氏主宰の「肉体の劇場」が本年5月29日で3周年を迎える。その節目の記念として福岡のダンスパフォーミング・アーツの特集とした。
 なお円谷裕二氏にご寄稿頂いた巻頭エッセイも合わせて読んで頂きたい。

aRTing 6号 表紙

aRTing 6号 5月25日発行

aRTing 6号 5月25日発行


photoシリーズ「写真都市」 /山本シンセイ —表紙~4
緊急寄稿 東日本大震災からの復興に向けて /佐藤 優 —6

Gallery Crossing
      水永宗勝/ギャラリーおいし —8
      元村正信/アートスペース貘 —10
      香月泰男・松田正平 /早良美術館るうゑ —12
      庄村久喜 /村岡屋ギャラリー —14
      一ノ宮佳邦/Galleryとわーる —16
      小嶋 勇/ギャラリーSEL —18
      寺崎陽子 /ギャラリー風 —20
ARTing Front Essay
  生成する身体と芸術 /円谷裕二 —22
  野村望頭尼と私 /谷川佳枝子 —22
  福岡発新作オペラへのアプローチ《ラーマーヤナ》 /中村 滋延 —22
  新しく生まれ変わる二科 /田浦哲也 —22
  芸術工学と私の四十三年 /後村政勝 —22

特集1 福岡デザインの底力
1. 未来を先取りしたプロジェクト・天神モール計画 /由良 滋+定村 俊満 —22
2. 都市の力量~地下鉄七隈線 /佐藤 優 —22
3. 明日の街づくり《WE LOVE 天神協議会》 /福田 忠昭 —22
4. 天神明治通りのデザインを考える /後藤 太一 —22
5. 風土からのデザイン~父・西島伊三雄/西島 雅幸 —22
特集2 生成する身体
● 観劇随想~金丸謙一郎
●公開座談会「福岡の身体表現の現在」 —72
    /山田修三 原田伸雄 宮原一枝 徳永昭夫 柴原あゆみ 倉園眞記 白川麻衣子
●生きること・踊ること—この滑稽とシリアス /原田伸雄 —92
●生命の根源のほうへ、おもむろに—原田伸雄の舞踏と九州性 /森 元斎 —102
●踊ろう、肉体のロゴスよ! /武田芳明 —112
●ナリニ・マラニ —124
●「肉体の劇場」リスト —127

2011年1月7日金曜日

ARTing 5号 特集・デザインは人を幸せにできるか?

混迷の時代、デザインのあり方の根底から問われています。
今回の特集の巻頭文の一部をご紹介します。

■ デザインの役割
 モダンデザインは一九〇〇年代初頭のドイツ・バウハウスで最初の運動がスタートした。この動きは「美」を合理的、機能的にとらえ、大量生産による「美の民主化」を果たした。
 その後デザインは長い期間にわたり、主に企業の利益追求やコミュニケーションの効率化の中でその役割を果たすことになる。
 デザインはマーケティングの下部(しもべ)となり、生活者の欲望をかき立て、手っ取り早く稼ぐための道具としてその地位を確立した。
デザインが手を貸すことによって拡大した大量消費は、結果的に環境やエネルギーなど大きな負の遺産を世界に残すことになる。同時に地域社会は高齢化や格差などの課題に直面する。
 最初のムーブメントから約百年を経たデザインは、「美の民主化」から「問題解決」へとその能力を大きく拡大した。そしてデザインは今新たな第三の使命を果たすべき時代をむかえている。
 生活者をマーケットとしてとらえるのではなく、ひとりひとりの市民が幸せに暮らせるために、デザインは今こそその力を発揮しなければならない。

■ Quality of Life
 設立から十三年を数えるFukuokaデザインリーグ(FDL)というNPOがある。建築、グラフィックなど、13のデザイン団体と大学などが中心に運営されている。このFDLのビジョンは「デザインによるQuality of Lifeの向上」である。
 Quality of Lifeとはデジタル技術開発の分野で使われる概念で、ここでは「人生の質の向上のための技術」と解釈される。
 FDLの主張も全く同様のコンセプトで、デザインを企業の利益のためだけではなく、人生と生活の質の向上のために活用しようというものである。
 今回執筆をお願いした各氏はデザインを生業としつつ、NPOや社団法人等、公益の活動に積極的に関わり、デザインの高い志を実現しようとしている方々である。
 それぞれのアプローチは違うが、目指しているのは同じ山の頂上である。
 遥か彼方、雲の上に見え隠れしているデザインの志が姿を現すかどうか、お楽しみ・・・。
                     責任編集・定村 俊満

2011年1月4日火曜日

あけましておめでとうございます。
昨年末 ARTing 5号 発行
現在、6号の発行へむけて進行中です。
本年もよろしくお願い申し上げます。

6号の特集は、「福岡のデザイン力」
ご期待ください。